「やらない善よりやる偽善」の意味と語源【好き嫌いが分かれる言葉】

「やらない善よりやる偽善」の意味

やらない善よりやる偽善

読み:やらないぜんよりやるぎぜん

意味:たとえ偽善や自己満足の行いでも、やらないよりは良いこと

「やらない善よりやる偽善」の意味は、「たとえ偽善や自己満足の行いでも、やらないよりは良いこと」です。

他人が行ったことに対して、「それは単なる偽善でしょ」と批判的な意味でも使われる言葉ですが、本来的には、「やらない方がやった方がまし」という肯定的な意味の言葉です。

「やらない善よりやる偽善」の語源

2003年8月1日に広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」に捧げられていた約14万羽の折り鶴が、いたずらで放火されるという事件がありました。

その際に、匿名掲示板の2ちゃんねる内で、「失われた折り鶴を2ちゃんねらーで折って、広島に届けよう」というコンセプトの元に「折り鶴13万羽プロジェクト」が立ち上げられました。

プロジェクトが進む中で、掲示板のスレッドに「しない善より、する偽善」という匿名の書き込みがされ、その言葉が「やらない善よりやる偽善」となったと言われています。

「やらない善よりやる偽善」の好き嫌いが分かれる理由

「やらない善よりやる偽善」は、その意味から、好き嫌いが分かれる言葉です。

人のために良いことをしていれば、「善行」と捉えられるのが普通ですが、「偽善」と考える人もいるようです。

本来であれば、人のために良いことをしていれば、「善行」と捉えられるのが当然です。しかし、最近では、ネット上で何でも言える状況になっており、人の善行に対して批判的な発言する人も多くいます。

批判をする人たちの考え

批判をする人たちは、人の善行に対して、偽善と考え、批判をします。

「本心からでなく、うわべをつくろって、自分の利益のためにやってる」と考え、批判をしているようです。

しかしこれは、善行をしている人の考えや気持ちを勝手に推測しているだけであり、善行している人の考えや気持ちは本人にしかわかりません。

そのため、偽善と批判している人は的外れと言っても良いかもしれません。