「心頭を滅却すれば火もまた涼し(しんとうをめっきゃくすればひもまたすずし)」という故事成語を知っていますか?
歌手として活躍する森高千里(もりたか・ちさと)さんの楽曲「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を思い浮かべる方もいるかもしれません。
しかし、日常ではあまり目にすることのない言葉なので、聞いたことがない方のほうが多いと思います。
結論から言うと、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の意味は「心の持ち方次第で、どんな苦痛も苦痛と感じないこと」です。
この記事では、そんな「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の意味はもちろん、その由来や使い方まで詳しく解説していきます。
ビジネスパーソンにとって、ビジネスシーンだけでなくメンタルフルネスの観点からも十分に役立つことわざですので、ぜひ身につけてくださいね。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の意味
心頭を滅却すれば火もまた涼し
読み:しんとうをめっきゃくすればひもまたすずし
意味:心の持ち方次第で、どんな苦痛も苦痛と感じないこと
先述した通り、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の意味は「心の持ち方次第で、どんな苦痛も苦痛と感じないこと」です。
それぞれの漢字を分解すると、
- 心頭:こころ、気持ち(ここでは雑念に近い意味)
- 滅却:消し滅びる(消し去る)こと
を意味しています。
「心頭滅却」は「気持ち(雑念)を消し去って物事をうまく運ぶ」というよりは、「物事がうまく作用するためにどんな苦労や努力に対しても苦痛を感じない状態」を意味します。
この「心頭滅却」の程度を表すために、本来“熱い”はずの「火」でさえ“涼しい”と感じると表現しているのです。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の語源と由来
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の語源・由来は、中国の詩人である杜荀鶴(と じゅんかく)が詠んだ漢詩『夏日題悟空上人院詩』の一節からと言われています。
また日本では、戦国時代末期、織田信長が活躍した時代の禅僧快川が発した教えとも言われています。
夏日題悟空上人院詩を詳しく解説
杜荀鶴が詠んだ有名な漢詩「夏日題悟空上人院詩」の一節を詳しく見ていきます。
原文:
安禅不必須山水
滅却心頭火亦涼
書き下し:
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅すれば火も亦た涼し」
(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず、しんとうめっすればひもまたすずし)
意味:
「安らかに座禅するために、必ずしも山水(自然の景色)がある場所に行く必要はない。無念無想の地に至れば(心頭(こころ、雑念)を消し去った状態に至ったならば)、火でさえ涼しく感じるものだ」
日本では、織田信長や武田信玄など戦国武将が活躍した戦国時代の禅僧・快川(かいせん)が残した言葉として知られています。
快川は、甲斐の国の武将、武田信玄に仕えた禅僧です。快川は、仏門に傾倒していた武田信玄によって甲州の恵林寺に招かれ、住職になりました。
武田信玄といえば、「風林火山」の旗印や「孫子の兵法」で知られ、甲斐の国(現在の山梨県のあたり)を治める戦国武将です。知略に富み、戦に強く、当時織田勢にいた徳川家康を破ったほどの実力の持ち主でした。現代でも人気が高く、大河ドラマの主人公としてその生き様が取り上げられています。
時は戦国時代、甲斐の戦国武将 武田信玄は室町幕府15代将軍 足利義昭の命を受け、西上作戦と銘打って信長討伐に向かいます(織田信長が足利義昭の反感を買ったため)。そして武田軍は、信長にたどり着く前に織田軍の一部だった徳川軍を撃破しました。しかしこの戦いの後、武田信玄は病気で一時撤退を余儀なくされました。帰路の途中、信濃の国(現在の長野県あたり)で死去しました。
武田信玄の死後、快川は信玄の嫡子・勝頼に仕えます。そして武田家が織田信長に滅ぼされた後、快川が多くの武田軍の兵や住民を恵林寺に匿いました。そこで織田信長は恵林寺を取り囲み、火を放ち、快川を含むおよそ120人以上の人々を焼死させました。
燃え盛る炎の中、快川は座禅を組み、杜荀鶴の漢詩の一部を用いて、
原文:
安禅不必須山水
滅却心頭火自涼
書き下し文:
「安禅必ずしも山水を須いず 心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」
(あんぜんからなずしもさんすいをもちいず しんとうをめっきゃくすればみずからすずし)
と唱えたといわれています。こうした経緯があり、日本における「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の由来は、禅僧・快川といわれています。
諸説ありますが、先述した杜荀鶴の詩の一節の異なる「~みずから」の部分は快川の誤読とされています。しかし詳しいことはわかっていません。
参考:臨済宗 妙心寺派 乾徳山 恵林寺
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の例文と使い方
例文1.今年の夏は猛暑だが、心頭を滅却すれば火もまた涼しで乗り切ろう
例文2.日本代表選手に選ばれるためには、心頭を滅却すれば火もまた涼しで厳しい練習に耐え抜かなくてはならない
例文3.心頭を滅却すれば火もまた涼し、険しいと思うことにもチャレンジすることが重要だ
例文4.毎日のマラソンはつらいが、ホノルルマラソン出場まで、心頭を滅却すれば火もまた涼しの精神でなんとか続けていかねばならない
例文5.心頭を滅却すれば火もまた涼しの言葉通り、競技に集中しているときあの選手は痛みを感じていなかったようだ
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」は、気温の高さ、つまり暑さをなんとか乗り切らなくてはならないといったときに使用します。年々日本の夏は、猛暑日が多くなっているので、今後ますます使用シーンは増えるかもしれません。
また、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」は「耐え抜く」という意味を持つので、暑さだけでなく、苦労やチャレンジを強いられるような「厳しい状況をなんとか乗り切らなくてはならない」場面で使われます。
ビジネスシーンにおいては「なかなか営業成績が伸びない」などのスランプのときに、自分を鼓舞するために使うのもありですね。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の類語
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の類語を3つ紹介します。
①堅忍不抜(けんにんふばつ)
堅忍不抜の意味は「どんな状況でも心を動かさず、じっと我慢して耐え抜くこと」です。
「どんな状況でも心を動かさず」という部分は、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の「心頭(雑念、気持ち)を滅却する(消し去る)」と似た意味になります。
例文1.彼が成功したのは堅忍不抜の精神で誹謗中傷に負けずにがんばってきたからだ
例文2.第一志望校に合格するために堅忍不抜を胸にがんばった
例文3.その道のプロを目指すなら堅忍不抜の心で取り組まなくてはならない
②則天去私(そくてんきょし)
則天去私の意味は「小さな私を捨て去って、天に従い自然に生きること」です。夏目漱石の晩年の言葉としても有名ですね。
「堅忍不抜」と同様に「私、ここでは見返りなど自分の利益を求めてしまう雑念ある自分を捨て去る」という部分が、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の「心頭(雑念、気持ち)を滅却する(消し去る)」と似た意味になります。
例文1.則天去私の精神でボランティア活動に精を出す
例文2.周りの人に気を配り、則天去私の心持ちで何事にも取り組もう
例文3.自分の利益を追求するのではなく則天去私の精神で仕事をすれば自然と人が協力してくれるものだ
③明鏡止水(めいきょうしすい)
明鏡止水の意味は「邪(よこしま)な気持ちを持たない、澄み切って落ち着いた心のこと」です。
こちらも見物不抜や則天去私と同様に「邪(よこしま)な気持ちを持たない」という部分が、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の「心頭(雑念、気持ち)を滅却する(消し去る)」と似た意味になります。
例文1.思い込みや偏見で判断せず、明鏡止水の気持ちで受け止めてほしい
例文2.昨年のコンペでは競合他社の状況を気にしすぎて負けてしまったので、今年は明鏡止水の心でとにかくプレゼンをやりとげることに集中する
例文3.就活も無事に終えて、明鏡止水の心持ちで存分に卒業旅行を楽しめる
まとめ
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」は、中国の漢詩、そして日本の禅僧の教えに由来する故事成語で、日常生活では見かけることの少ない言葉です。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」のようなめずらしい故事成語を正しくさらっと使えると、知的な印象を周りに与えることができます。そしてただ使うだけでなく、その由来もわかりやすく説明できると、さらに知的な印象アップにつながると思いますよ。
早速明日から使ってみてはいかがでしょうか?
①「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の意味
・心の持ち方次第で、どんな苦痛も苦痛と感じないこと
②「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の語源・由来
・中国の詩人である杜荀鶴が詠んだ漢詩「夏日題悟空上人院詩」の一節
・日本においては戦国時代末期、武田信玄に仕えた禅僧快川の教え
③「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の例文と使い方
・今年の夏は猛暑だが、心頭を滅却すれば火もまた涼しで乗り切ろう
・日本代表選手に選ばれるためには、心頭を滅却すれば火もまた涼しで厳しい練習に耐え抜かなくてはならない
・心頭を滅却すれば火もまた涼し、険しいと思うことにもチャレンジすることが重要だ など
④「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の類語
①堅忍不抜
②則天去私
③明鏡止水